マリアちゃんとの出会い
留学生活が始まって間もなく、ゆきさんと授業へ向かうためエレベーターに乗った時でした。
学生でぎゅうぎゅうになったエレベーター内で私とゆきさんは日本語で会話していました。
すると後ろから「日本人ですか?」と声をかけてくるロシア人美女が。
これがマリアちゃんです。マリアちゃんはこの前まで日本で留学を終えて帰ってきたばかりだそう。日本語がすごく上手で綺麗な人でした。
私たちはすぐに連絡先を交換して連絡を取るように。毎週のように遊びに出かけて私たちは本当に仲良くなったのです。^^
なにより彼女もセルフネイラーで、美容に興味があって、話が合いました
彼女は、今後もっとも頻出する登場人物となります。お楽しみに
アルチョム君との出会い
アルチョム君との出会いも留学してすぐでした。
たまたま出来たロシア人の友達に誘われ、国際交流基金モスクワが主催の茶道をロシア人の方々にレクチャーするというイベントへ行ってきました。
そのイベントが大盛況で、空いている席はまばらで、一緒に行った友達たちとは離れて座らなければいけないほど。この時、私の隣に座ったのがアルチョム君。
ロシア人って小太りだけど筋肉隆々としてて、髪型は角刈り、みたいなのが多くて、日本人からするとえ!?っていうような風貌の人がモテてたりしてたんですが、隣に座っていた彼はさわやかイケメン風で、紳士な雰囲気。
話を聞きながら彼はしきりにメモをとっていました。こっそりそのメモを見てみると・・
うらせんけ
ん??最初の「う」の文字が反対になっていて間違えています。。
「勉強始めたばかりなのかな~、かわいっ」
そう、恋に落ちてしまいました。結局彼とは1か月後くらいから付き合うことになり、親密な関係を築きます。
私の家族も彼の家族に会ってくれたし、彼の家族も私を本当の家族のようにとても大切にしてくれました。
彼は当時34歳。私24歳。そろそろいいお年頃。
帰国直前に彼とのデートで中華料理レストランへ行きました。
この留学が終わってしまったらどこに就職するかも決まっていないので、
次いつ会えるかわかりません。今までの思い出話をしてたら寂しくなってきちゃって、
離れたくないとレストランで泣いてしまいました。
「gege、泣かないで」彼がそう言うと、なんと彼の手には小さな指輪。
彼からのプロポーズでした。
まだ私には結婚は早い、という気持ちと嬉しい気持ちが入り混じっていたので、
正直にまだ返事はできないと保留にさせてもらいました。
彼がロシア留学中いつもそばにいてくれたおかげで、言語習得の近道になっただけでなく、よりロシアの地元らしい生活を体験することが出来たし、なによりロシアを好きになって帰国することができました。こんなに安全で楽しい充実した1年間を過ごせたのはアルチョム君のおかげだととても感謝しています。
こちらは留学中の写真。雪バンバン降ってる笑 ワンチャンデカい笑
こうしてgegeは日本へと友達と彼氏をおいて帰国するのでした。帰りの飛行機号泣したなー。まじで帰りたくなかったなー。
なつかしい^^
次回は留学から帰ってのことを書きたいと思います。
あでぃお~す
到着は4月。寒い国だとは思ってたけど、なかなかあったかい。
お世話になるモスクワ大学からお迎えの運転手さんが大学名が書かれたプラカードを持って
空港でお出迎えしてくれました。
この留学、高校からのお友達の美人ゆきさんと同じだったのですが、運転手はゆきさんの
荷物だけもち駐車場へ。
えげつねーー。格差社会キターー。
そう心の中で思ってしまったのは内緒
大学寮へついたら、なにやら英語をしゃべる学生が。
私たちに寮案内をしてくれるよう。気を使って英語を話しているみたい。
がしかし、大学ではほとんどロシア語しか勉強をしてなかったので、英語を忘れている私たち。
かといってロシア語で説明されても理解できないのだ。
女学生「これから寮の施設を案内するわ」
私たち「Да.(はい)」
女学生「あら、ロシア語を話せるの?ロシア語のほうがいい?」
私たち「Пожалуйста, по-англиски.(英語でお願いします。)」
女学生「??」
「何分後に案内へ行けるかしら?」
私たち「Через 10 минут.(10分後で)」
女学生「??(私には英語を求めてくるのに、なぜ彼女たちはロシア語しか話さないの?)」
ついつい返事がロシア語になってしまうgege..笑
という感じで最初は何が何だか分からず、しどろもどろとしていました。
そんな私たちも授業が始まり、ロシア語にも、ロシアの生活にも慣れていきました。
日本語の言語を話す人ならわかるかもしれませんが、語学っていきなり理解できるようになる
日がくるのです。私の場合は留学してから5か月目のことでした。
授業中先生の言っていることがよくわかるようになりました。
そして、夜中眠っているときに見る夢がロシア語になったんです!!
しかも、意味は分からないけど、おじさんがロシア語話してる情景とかあって、
どうゆう意味だったんだろうと起きてから考える事もありました。。
だんだん脳がロシアナイズドされていった訳ですね
ここから積極的にロシア語を日常で話すようになり、頭の中で考える時の言語もロシア語になって
ロシア語がメキメキと力ついてきたような気がします。
日本語以外の言語を勉強された方、共感する部分ありませんか?^^
ロシアに留学していた1年間はロシア語だけに集中していたので、ネイルにはあまり興味もなく、
持って行ったネイルチップをつけるくらいでした。(それも瞬間接着剤で笑)
ですが、ロシアで過ごした1年間はなければ感じられなかったことがたくさんありました。
ずっと実家暮らしだったので、家族(特にお母さん)のありがたみを初めて知りました。
洗濯機が寮内で有料で、そこを管理しているおばちゃんがちょー怖くて何言ってるか分からなかったので、洗濯はいつも手洗いでした笑
私が風邪をひいたとき、隣の部屋のゆきさんがうどんを作ってくれて、まじで泣きました。
日本で食べるうどんより、不味かったけど(笑)、今まで食べた中であんなに愛のこもったうどんはなかった
あとは、ロシア人以外にもいろんな国の友達が出来ました。ドイツ人、アメリカ人、中国人…彼らのアグレッシブさと言ったら、、日本人は奥ゆかしいというけど、ただの恥ずかしがりなんじゃ?と思ったほど彼らと一緒にロシア語の授業を受けるまでは、間違えを恐れて発言をひかえていたけど、それではいつまでたっても上達しないんだよね、間違えてもいいんだ、間違えを見つけるために授業があるんだと彼らから学びました。これ、日本での授業や講習の時、会社の会議の時に今もすごく感じます。もっと発言せよ、日本人!てね。
ちょっとだらだらと書きすぎちゃった。次はロシアでの運命的な出会いを書きたいと思います
ばばい♪
]]>そのブースは、NOBILITYさんのところで、親指をクリアで長さだししてもらって、
シルバーラメのグラデーションで、おまけにスワロを乗せてもらいました
指より先の部分が透明で透けていて、シルバーのラメできらきら、表面はツルっと、
今まで自分がやってきたマニキュアとは違う新しい輝きが私を魅了しました
また、そのNOBILITYさんのジェルは、嫌なにおいがなく、ほんのり甘い香りが特徴で、
この香りは1週間ほど持続したほど!!まさに衝撃的でした!!
そんなNOBILITYさんのジェルはこちら↓↓↓
派手好きな母のもとに生まれたので、初めてのマニキュア
は真っピンクなショッキングピンクのマニキュアでした。
それを爪に塗ってもらって幼稚園に行くのがすごく嬉しくてルンルンだったのを
今でもよく覚えています。
でも、大人になってから友達に聞いたら、周りにこんな年から
マニキュアをしている子なんていなかったから、
「この子こわ~~い」って思われてたそうです笑
その後もずっとネイルが好きでしたが、スポーツも好きで、中学・高校と陸上部に所属していました。
中学生のころの将来の夢は、オリンピック選手か、歯科衛生士か、ネイリストでした!
オリンピック選手は、高校受験で激太りして早く走れなくなったのであきらめ
綺麗な歯科衛生士さんにも憧れていたけど、姉の
「綺麗なだけじゃなくて汚い口の中を触るんだよ?臭いかもしれないよ?毎日触るんだよ?」
となぜか圧をかけられ、それに負けあきらめ笑
ネイリストを諦める理由がなかったので、そのまま夢を持ち続けたのでした
それでは次は大学時代、ジェルネイルとの出会いを書いていきます
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